水曜日, 8月 22, 2012

平成猿蟹合戦図 吉田修一


平成猿蟹合戦図 吉田修一
★★★★☆

近年、吉田修一氏は私の最も注目する作家の一人である。
東京湾景、パレート、横道世之介そして悪人。
作品ごとにテーマや描写法を変え、常にチャレンジする姿勢はとても尊敬する。

まず、エンターテイメント作品としてはかなりできていることは否定できない。
ストーリーが面白く、人物の描写も鮮明に描かれている。
特にサワ婆さんの話、淡々でありながら鮮やかに描かれる。
だが、胸を打つものは、あまりないかなー。
『悪人』があまりにも優れたから、つい『悪人』の濃厚さを期待してしまう。

 内容が良い意味で軽いので、深く考えたくないときには丁度いいかも。
(なぜか本書の読後感はもう一度『悪人』を読み返す!ということ。笑

金曜日, 8月 17, 2012

深夜特急 沢木耕太郎


深夜特急 沢木耕太郎

★★★★★


自ら手に取るような本ではなかったが、読んでみたら結構面白かった。

第一巻はデリー、香港そしてマカオ。どれも自分がかつて訪ねていたところ。
見ていた景色を目の前にまた甦るだけでなく、記憶のなか黒白写真のようなぼんやりとなった
それぞれの町の風景に更に色付けてくれたように鮮明に描写されている。
 
この本を読んで、さあ、旅に出ようと思う人はきっと少なくはないだろう。
そして、沢木氏のあとについていって、戸惑う人もきっと少なくはないだろう。
あれから何十年も経ったから見た風景が違うのも仕方ないっていうわけではなく、
違ったのは時代ではなく、旅の仕方、見るところ、そして感性だと思います。
沢木氏は間違いなく、どこに置かれてもその場所の面白みを汲み上げられるのだろう。
五感で町を感じ取り、そして飽きれなくいろんな人とふれあい、
「一種の透明人間」となった気持ちも何となく分かった。


二十代前半の旅、普通の人が行かないところが好きだった。
今思えば、あの時、旅自体を楽しむのではなく、変わったところに行きたかっただけかも。
そして二十代の終わりとなる今頃、旅とは自分との対談のようなものになってきた。

もう少し経てば、また考え方変わるだろう。
沢木氏の『深夜特急』を読んで再び旅に求めていることは百人百様。
誰かのまねではなく、誰かの足跡についていくものでもない。
そしてこの本を読んで強く思ったのは、もっと周りに関心をもっていれば、
もっと人とふれあえば、どこにも旅に出かけるような新しい発見があるはずだ。

関心・感性を持つことが重要だ。

少し本題から逸らしますが、この本を読んでいて何人か旅にはまっている友人の顔が
交代に浮かんでいた。
南米を歩き渡ったり、エベレストまで登り、カンボジア界隈で熱病になっていた(笑)Kさん。
バックパッカで東南アジアを横断し、浮浪者のような生活を送っていて
今中東に流されたらしいYさん。
そして同じくバックパッカーで欧州やアジアを歩き渡って今行方不明(笑)となったRさん。
彼らは何を求めて旅に出たか、旅先で何を見て感じたのか、ふと想像しちゃった。笑。

水曜日, 8月 15, 2012

First Love



人生中至少要有一次,不知所措地去愛誰,
接著,至少還要有一次無奈的離別。

愛過,就可以一直相信自己能愛
痛過,就能說服自己面對往後人生的無奈。


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You are always be inside my heart.
いつもあなただけの場所があるから。
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人生には、少なくとも一回くらい、
どうしようもないほど誰かのことを愛すること。
そして一回くらい、胸が締め付けられるほど
愛する人を自ら手放すこと。

そうすると、自分には愛する力を持つと、
ずっと信じていられる。
そして、うまくいかないことも
どうでもよく思える。

土曜日, 3月 03, 2012

項塔蘭(Shantaram)

項塔蘭(Shantaram),by Gregory David Roberts,一個澳大利亞人。根據書背上的導讀,『項塔蘭』是作者的自傳式小說。他曾經是年輕有為的大學老師,卻在二十五歲那年因為婚姻的破裂,開始沈迷毒品。之後因犯下多起持械搶劫案,而被關到澳洲看守最嚴密的監獄。

故事開始於他從監獄中逃出,持著假護照進入印度。他在那裡結識了導遊普拉巴克,並被普拉巴克命名為「林巴巴」(Linbaba)。「林」是來自於他當初入境印度時所使用的假名「林賽」〔據說在印地語中代表陰莖〕,「巴巴」則是尊稱。普拉巴克帶他認識了孟買,也領他拜訪了普拉巴克的故鄉,了解真正的印度。

就像我初次造訪印度的經驗一樣,在去印度之前我曾忿忿不平我所聽到的一切--貧窮、戰亂、男女不平等等等。但在我實際踏上那片土地後,那些忿忿不平不能說消逝殆盡,但的確有了相當大的改變。

P.90-92 普拉巴克帶著林巴巴去專門販售小孩的人口市場。
"我怎麼能看著那景象,看著那些小孩,卻不出手制止?我為何沒報警?我為何沒弄把槍,自行阻止這事〔小孩的人口買賣〕?那原因,就和所有大問題的原因一 樣,錯綜複雜。我是個通緝犯,被追捕的罪犯,生活在逃亡中。......這不是我的國家,不是我的文化。......人生的慘痛經驗告訴我,竭盡所能想改 善情況,有時即使抱持最純正的動機,都會適得其反。我即使拿槍回來,掃射那處奴隸市場,大概還會有同樣的買賣,在那迷宮般曲折巷弄的其他地方另起爐灶。"

"普拉巴克告訴我,那些小孩若不是有幸來到人口市場,大概活不到今日。以物色孩童為業的探子遊走於各災區,......快餓死的父母,看著自己的小孩陸續 生病、死亡,因此,見到這些探子就如見到救世主,立即跪下親吻他們的腳、懇求他們買下一個兒子或女兒,好至少保住一個小孩。"

"那些待價而沽的男孩,......替有錢達官貴人供午後娛樂。.....有些人會在這樣的比賽中重傷成殘,有些人則丟掉小命。......"

"但他們活著,......那些男孩和女孩。他們是幸運兒。美有一個小孩經過這裡的人口市場轉賣到他地,就代表另有至少一百名小孩,受著難以言說的飢餓死亡。"

"事實真相比個人體驗更奧妙,有些是不是我們眼見為憑,甚至不能以我們的感覺為準,那是讓人了悟光憑聰明未必能看透人世奧妙的一種真相,讓人了悟感受與現 實不能混為一談的一種真相。面對那真相,我們通常無能為力;了解那真相所要付出的代價,就像是了解愛要人付出的代價,有時大到無人願意承受。那部近人會使 我們更愛這世間,但的確使我們不至於去恨這世間。" P.109

「就在昨天,我從飯店下來,要去街上和普拉巴克見面。但在樓梯間,有些印度漢子一個接一個頂著大水罐,往樓上走。我側身緊貼著牆壁,讓他們通過。走到一樓時,我看一個富有鐵網輪的大木桶,類似水車。另有一個漢子拿著水桶,從木桶裡舀水,注入那些大水罐裡。......普拉巴克來時,我問他們在幹什麼。他各素我,那就是我洗澡的水。沖澡的水來自屋頂上的水槽,那些人用罐子替水槽注滿水。」
「......我一直有一天沖澡三次的習慣。我一直不知道得有人得爬六段樓梯,替水槽天水,我才能沖那些澡。我為此覺得愧疚,......我告訴普拉巴克,從此不在那飯店沖澡,絕不。

「他說,不,你不懂。他說那是人們的飯碗。......正因為有像我這樣的觀光客,那些人才有工作做。他還告訴我,他們每個人都靠這些工資養活一家子。你應該每天沖澡三次、四次,五次。」

這是這本書第一個(first but not least)帶給我的感動。就像我第一次去印度時,從一開始為他們的貧困掉淚不平,到後來心中漸漸了然,甚至能看到他們貧困之後的平靜與快樂,看到自許為救世主的自己身後的驕縱與自以為是。這本書能用文字堆砌出了我當時的感受與心境的轉變。了解這些事實真相不能光靠自己所看到所感覺到的,不是只有眼前這一秒,不是只有眼前這群人,後面還藏有一個大時代。