水曜日, 6月 04, 2014

怒り(上)(下) 吉田修一



★★★★☆

良い意味で後ろめた作品だった。

人を殺し、整形をして逃げる犯人の男といえば、誰もがあの英会話の外国人講師を殺害し、逃亡していた市橋達也を思い浮かべるだろう。本名を隠し居場所を転々として千葉の漁港に落ち着いた田代、沖縄の離島にやってきたバックパッカー田口、ゲイの居候していた直人のどれが本当の犯人を追求するミステリーというより、吉田修一氏が書きたかったのは一番大切な人を信じたいのだが信じきれない、大切な人を信じられないのは本当は自分を信用していないではないかという人間の葛藤だろう。

犯人ではなかった娘の恋人を疑い、追い詰めた洋平は「自分はいったい何に目をつぶろうとしていたのだろうか。目をつぶろうとしていたのはこの事件ではなく、自分や愛子の、期待できそうにない人生に大してだったのではないか。」犯人ではなかった恋人を疑い、関わりを否定していた優馬は、本当は自分のことさえ受け入れていないのではないか。

一方、本当に信頼していた人に裏切られた人もいる。「信じていたから許せなかった」と辰哉が言った。何なんだろうね。

なぜかこの間台湾、台北地下鉄で起きた通り魔事件を思い出した。事件後、容疑者(大学二年の学生)の大学から同校の学生向けの発表があったが、発表のなかでは容疑者と線を引くことがなく、「君たちを愛しているつもりだったが、愛しきれない」(我們愛著他們,卻也不夠愛他們)。本書に登場する主人公も同じ、信頼しているつもりだったが信じきれない普通の人間の心理をリアルに描く筆致は実は秀逸だった。

帯に「『悪人』から7年、吉田修一の新たな代表作」と書かれた。本書は確か意欲作でありぐいぐいと引き込まれたが、残念ながら『悪人』と比較できる傑作とは言えないのではないか。

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